アメショのショコラの病気を知ることになったのは、引き取りまであと1週間くらいのときでした。
突然ブリーダーさんから、
「猫の風邪が流行ってきたから、できればうつる前に引き取ってほしい。」
という連絡が入りました。
動物愛護法が改正されて、「ペットショップなどでの犬や猫の販売を生後56日(8週間)まで禁止する」ことになったのは2019年6月のことですが、2009年当時でも引き取りができる目安は、生後2カ月以降というのが一般的でした。
新しい家族と会えるのが、1週間も前倒しになったことで、子供たちもとても喜びました。
翌日、ショコラ、ヨタロウの2匹を引取ると、すぐに新しい環境になじみ、ねこじゃらしに反応して元気に走り回りました。
心配していたトイレも、ブリーダー宅で使っていた砂をそのまま分けてもらい、2匹ともその日のうちにオシッコまできるようになりました。
しかし、2日たったあたりから、ショコラに異変が起きました。急に咳をするようになり、みるみる元気がなくなってきたんです。
すぐにショコラを、近くの動物病院に連れて行きました。
診察のあと、獣医さんから呼ばれると、
「ブリーダーさんに連絡して、新しい子に変えてもらった方がいいんじゃないか。」
という意味不明な一言……。
「???」
まるで電化製品の不良品にでも当たったような無機質な言葉に、反応できずにいましたが、
「あと何日生きられるかわからない・・・。」
追い打ちをかける言葉で、ようやく意味を理解しました。
茫然と病院をあとにして、それでも頭をフル回転させて向かったのは別の病院でした。
セカンドオピニオン
「次の病院でも同じ結論かもしれない」
そう思いながらも、一縷の望みをかけて向かった病院。
その新しい病院で、ブリーダー宅で風邪が流行っていたこと、前の病院では治療できないと診断されたことを伝えました。
30分ほどの問診のあと、ショコラだけの長い診察、検査が行われ、1時間以上たって獣医さんに呼ばれました。
今度告げられたのは、
「もっと検査が必要なこと、この様態では治療に時間がかかること、 万が一のことも覚悟すること」
これを了承して、ショコラは1か月ほど入院することになりました。
死の淵から
ショコラの入院中、何度か病院へは状態を伺いに足を運び、一喜一憂しながら長い1か月が過ぎ、治療の甲斐あって、ショコラは無事に退院することができました。
獣医さんの診断によると、
まだ子猫ということもあって、「猫風邪」から発熱と肺炎を起こしてしまい、かなり厳しい状況だったとのこと。
猫風邪は普通ならばそれほど致死率が高いわけではないのですが、抵抗力のない生まれて間もない猫が重症化するとのこと。
ショコラの生命力の強さが、奇跡を起こしたんだそうです。
あのとき、諦めなくてよかった・・・
結果的に視神経に影響が及んでしまい、「斜視」という後遺症は残ったものの、すっかり元気になって退院しました。
ちなみにスコのヨタロウの方は感染せずに、元気でした。
ショコラが元気になったことを家族みんなで喜び、あらためて我が家に迎え入れることになりました。
ショコラを助けていただいた獣医さんには、本当に感謝です。
そして今でも、健康診断を含め主治医になっていただいていて、心強く感じています。
↑退院した直後の元気になったショコラ
「猫と暮らす」を考える
もし最初の病院で諦めていたら・・・と考えると胸が締めつけられる思いがいします。
これまでも、猫の最期には立ち会っていますが、ショコラの一件以来、いろいろなことを思い出しながら、
ますます「猫と暮らす」意味について、自分の過去を思い出し、現在の猫を取り巻くさまざまな問題とともに、深く考えるようになりました。
子供のころ保護した猫が病気にかかり、病院に連れて行けずに結局死なせてしまったトラウマ。
癌で19歳で亡くなった先住猫が晩年、後ろ脚の腫瘍を痛そうに引きずって歩く姿。
そして最近、問題となっている、悪徳ショップやブリーダーによる、多頭飼育崩壊。
歪んだ人間が起こす、動物虐待。
老人の孤独死のあとに残されたペット。
猫だけでなく「ペットと暮らす」という言葉の意味。
「ペット」とは人間のエゴという人もいるし、やっぱりそうなのかな?と思う自分もいます。
答えはなかなか出てこないかもしれませんが、少なくとも今は、
少しでも猫が幸せだと思ってもらえることを「想像して」、
それをいっしょに暮らしている中で「感じ取り」、
それに向けて、最大の「愛情を注ぐ」ことを心に決めています。
そして、猫と暮らす上では、別れの時のことも考えなくてはなりません。
冷静に猫に最大の感謝して最期を見届けなくてはなりません。
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